【読後メモ】知的生活の方法

この本は、堀 正岳(@mehori)さんの記事「ウェブばかり見ていることは読書のかわりになるか?」で紹介されていたのを見かけ、購入しました。

もう今から40年以上も!前に書かれた本ですが、私の血となり肉となっている、私の古典です。

この本から感銘を受けたことをいくつかご紹介します。

ぞくぞくするほどわからなければ、わからないのだ

前略)

私の生活は、佐藤先生にめぐり会ってから一変したのである。


中略)


「わからない」に耐える

この先生を神のごとく崇拝していた私は、「わからない」と言うことを怖れなくなった。大学の英文科ではむずかしい話をわかったように偉そうに言うのが普通であった。しかし私は英詩の大部分は不自然でわからないと公言して憚らなかった。「ぞくぞくするほどわからなければ、わからないのだ」という原則に忠実だったからである。だいいち、日本人の大学生が、田舎の高校あたりからぽっと出てきて、シェリーの詩を原文で読んでほんとうにおもしろいなどということはあるわけがないのである。あるとすれば万人に一人の天才であろうが、天才がそんなにころがっているわけはない。

(中略)

わからないものをわからないとし、ほんとうにわかったものだけをわかったことにしよう、という決心は、あとで哲学史で知ったことによれば、デカルトの出発点だったようである。

第1章 自分をごまかさない精神 -恩師にめぐりあう- #渡部昇一 知的生活の方法 P.26〜28

わからないものはわからない。無理に知ったかぶりしない。この考え方は、慎重派の私にピッタリ当てはまり、初めて取りかかるタスクには先入観を持たないことを覚えました。

何事にも疑いを持つことで、業務の取りかかり始めには多大な時間を要しますが、特に多工程のルーチンワークの場合に効果を発揮しました。

この考え方を発展させることで、EC商品情報入力業務の業務改善の要、システム導入における画面の設計に寄与しました。

私の古典

世の中に古典と呼ばれる本がある。これは何度も何度も読みかえされ、時代を経ているうちに残った本のことである。

(中略)

これはひとつの国民のあいだで古典がどのように形成されるかの手っ取り早い話であるが、しかしこれはよく考えてみると、私という個人の中に、『半七捕物帳』が古典として確立してきたのと同じ経過をたどっていると言えるのではないだろうか。その秘密は「繰りかえす」、しかも「時間の間隔を置いて繰りかえす」ということにあると思う。「繰りかえす」ということは、子供の読書においても重要なポイントである。そしてこの繰りかえしが二十年も続けられて、しかもそれに耐える本や作者に巡り合ったら、相当に大きな人生の幸福といってもよいのではないだろうか。つまりそういう人は、その人自身の、私の古典を発見したことになるのだから。

第2章 古典をつくる -古典とは何か- #渡部昇一 知的生活の方法 P.65〜67

まさにこの本(知的生活の方法)が私の古典です!

通読するのは稀ですが、印付けした箇所は購入から8年経過した今でも時々読み返しています。

手放すことのできない本のひとつです。

中断の作用

中断されるおそれがなく、時間はほとんど無限に自分の目の前に広がっていると感ずるとき、知はまことにのびのびと動く。いつ電話がくるかも知れない、などという気持ちが意識下にあるときは、知はその自由な動きをすでに失っているのだ。精神の集中を要する種類の仕事、特に論文でも書くという経験を持った人ならばよくわかってくれると思うが、ようやく一時間ぐらいかけて書き出しの一、二枚目まで行ったときに、訪問客があったり、電話がかかってきたりすれば、そのための中断がたとえ五分か十分でも、その前に書いたものに続けるためには、さらに一時間か、二時間かかるのである。あるいは気分がこわれて、半日その仕事は中断以前のものにつながらない、ということにもなるのである。

第5章 知的生活と時間 -血圧型- #渡部昇一 知的生活の方法 P.173

これはもうまさにその通り!と初めて読んだ時に思いました。まさに私自身のことを言い表してくれているかのようにも感じました。

クリエイティブ系のお仕事されている方は、よ〜くわかってくださるかと思います。

そろそろ電話やめませんかね?

書籍情報

著者:渡部昇一(わたなべ しょういち)
書籍名:知的生活の方法
発売日:1976年4月20日 第1刷発行
出版社:講談社現代新書
ページ数:214ページ
購入日:2011年11月28日
直近の読了日:2019年2月15日